ピントの合わない男

また偽間男の夢を見てしまった。
共通の友人らしき見知らぬ女の家に二人呼ばれる。彼は今日はもう8時間も運転をして、等と私のような事を言う。居心地が悪くて、帰るふりをして彼を助手席に家を出たら女に後をつけられていて、私が実家であれこれ出かける準備をしている間に外で何か話している。あの女の方がいいのかとかそういう。。あなたを操るのは私一人じゃなきゃ駄目。あんなのと一緒だなんて駄目。私だけが。偽間男は普段現実での彼と同じように、全く動じず、ちょっと楽しんでいるふうの笑みさえ浮かべて「ならあれ一人にするのなら文句ないな」と言って、女は何も言えなくなって帰って行く。オールスターの靴紐をぎゅうっときつく絞めたあと、母に向け玄関にて書置きする、私の一番すきな人とちょっと出掛けてきます。別にいいよね。てきな。戻って二階に居ると母が帰宅する音がして、インターホンから怒りで殆ど男の声になった母から「なんであいつなんかと」「いい加減にしろ」「許さない」と呪いの言葉。ドアの向こうから階段を上って来る音がする。

そういえば、食事の席でも話したのだけれど偽間男は連れ合いだけでなくうちのお上からもあまり好かれていないのだよなあ。

夢の中には知っている人ばかりが出てくる。知らない人が出てくる時は、知らない人というよりは知らない何かで、そういう者には大抵追われている。
連れ合いと友人を含め数名に「私の夢は静止画の連続でスライド写真なので」という話をされたことがあって、想像もできないなと思った。それよりも面白いと思ったのが、連れ合いの夢には知らない人間しか出てこないという話。知った人間がキーパーソンとして出てくるのは稀だと言う。何と言うか、夢を分析するのに自身の投影だとか何かの象徴だとか断言し難い人物が出てくるのですごく珍妙なのだと言う。
私にはそれが分らなかったが、今日、知らない男が出てきた。実家の前で鍵をがちゃがちゃやっていると、ニット帽を被り薄汚い顔をした、ホームレスのような背の高い30歳くらいの男が寄って来て、アイスコーヒーをくれと言う。コーヒー屋ではないので。と断ると差し出す手にホットコーヒーの入った紙コップを持っていた。あれは何なのだ。あいつは二度出てきた、本編と全く関係無しに。二度目によく見ると紙コップを持った手の指が、二本くっついていた。最初からそうだったのかは分らない。あいつは何者なのか。あの男と男の登場には何も意味などないのか。私とは無関係なのか。だとすればあの男は私が起きている間どこで何をしているのか。

雨の中呼びつけたり

膀胱炎。もう眠る時は何か服を着るべきだし、圧縮袋から羽毛を出すべきであるし、灯油を買わねばならぬ。朝5時半起床、7時にマネージャーに入電、10時に最寄の内科。
昼前になってO先生が、山へ行くと仰って、自分もどこか、久しぶりにふらつこうかと思いつき、前回出会えなかったが今回はどうにかなるんじゃないかと、O先生には、どこかで会えたらラッキーですね。くらいの気もちで。とか何とか言ってそちらの方面へ車を走らせるも、30分後GSにて財布が無いのに気がつき、絶望する。ガス欠に怯えながら来た道を戻り、また無闇矢鱈に声を掛けておいて行き会えないのかという申し訳なさでいっぱい。日暮れ直前、数度連絡をとり国道140号であれするとどうにかいい具合にどこかでぶっつきそうな予感がしたので、急遽北へ。伊勢崎to太田to寄居to秩父。140号はなかなかに混んでいて、急ぎで出てきたので手ぶら、おまけに外では雨が降って来て、伝えた場所で煙草を吸いながらまた申し訳なくなる。連れ合いに電話するともう帰宅していて、置いて行かれてぷりぷり。すいません、勝手に出てきて。まだ帰れませぬ。
15分程してO先生が到着し、ぽつぽつ雨の降る中、びしょ濡れのテーブルとベンチの横で煙を吐きながら立ち話。すいません、時間があまりなくて。申し訳ない。わざわざ呼びつけて。申し訳ない。その上手土産まで頂いてしまい、申し訳マックス。今度旨いハンバーグご馳走させて下さい。
ぷりぷりが待つ部屋へ帰る道は渋滞。雨も、降ったり止んだりを繰り返していて、自然煙草の数も増える。結局一旦帰宅したあともぷりぷりを隣に乗せて3時間の放浪。同居しているのに、久しぶりに会話らしい会話をした。人付き合いはこれくらいが丁度いいと思ってしまう。

真顔で病んだ事を言う

ウェディングドレスで莫迦な写真等撮ってみたいなあ。写真はいつも仕事でもそれ以外でも自分が撮る側なので考えた事もなかった。馬骨さんに、看板になりそうな画像を沢山見繕って頂いたのだけれども、自分ではあれしたりする技術がないので頂いたものをそのまま置いておくことにした。夜の寺社仏閣へ行くことはないですし屋外で全裸になる事など死ぬまでに一度もないと思いますが、沢山ありがとうございます。もしかしたら有名な画像もあったのかも知れないけれど、沢山出して頂いたうちの数枚は既に所持していて、いい所を突いて来て下さるなあと。この椅子のやつなんか凄いよ。
横芝を思い出してしまった。どんな言い方をしても心の病気を思わせる事しか言えないのだけれども、何と言うか自分の心にはこの、浜に打ち揚げられた屑、残骸、その澱みが不可欠というか、例えば自分の生き方だったり生きてきた軌跡だったりこの先の人生だったりを、想像して何かに例えるときに、ホンワカパッパしたお花畑とか、観衆の溢れる花道とか、険しくも心躍るジャングルとか、曲がりくねった畦道とか、そこまで想像力を発揮させなくても、何かあるじゃない。目を閉じたら自然浮かんでくる光景みたいなもの、港町で育った人は漁船だったり、田舎で育った人は稲穂や麦の畑だったり、そういう単純なあれでいいです。自分は、何をどうやっても波の泡だったりその泡の溜まる澱みだったりする。誰も、1ミリも理解出来ない話かも知れないけれどね。そして馬骨さんのそれはきっとしみじみするような古い昭和の民家と商店の路地なんだろうなあとか。勝手に。そのつまんない、何言ってんのこいつ的な、隙間を突いた写真だった。一生大切にします。
ちなみに画面右の方に貼りついている漢字の意味は調べましたら「きつく締まって固い」だそうです、意味や読み方がわからないのにこれを私に与えてくれたのはもう本能でしょう。いつか添い寝しましょう。


これを聞くと何故か、夜明け前に海の匂いを感じながら横芝の小さな街をドライブしている時を思い出す。澱みを求めて。

怪盗藤井麗子の事件簿

実家のベッドに横になっているとテレビジョンでタモリ筒井康隆と、もう一人知らないサブカル研究家が、本当に面白いコミック決定戦というのをやっていて三冊のうちどれを大賞にするかという熱い議論をしていた。一冊は筒井原作の「怪盗藤井麗子の事件簿」でしりあがり寿のようなタッチの漫画だった。もう一冊は松村秀子という人の、サブカル臭とアングラ臭の強い漫画で、もう一冊は覚えていないが、結局大賞は松村秀子の本に決まって、スタッフロールが流れる中、最後の最後に駄目押しで筒井が自分の本を「面白いよ」と宣伝すると、タモリが「おれ読んでない」と言って笑いをとって、筒井の不満げな顔を最後にCM。
そんな夢を見て目が覚める、勿論実家のベッドではなかったし、Amazonで検索してみたら松村秀子さんという人は居たものの社会福祉の本を書いていた。「怪盗藤井麗子の事件簿」なんてものも存在しない。そもそも何故怪盗目線の事件簿なのか。探偵とかじゃないのか。
そのまままた眠ってしまい、そこでは私に二人の弟が居た。上の弟とは恋人同士のように仲がよく、久しぶりに郷里に帰ると歓迎してくれ、地域の何か、お祭のような物へ連れて行ってくれた。パン屋があって、ミルクフランスとかチーズデニッシュとかイチゴミルクパイとか、甘そうなパンばかり選んで、会計をさせている間に外へ出ると偽間男が白いトヨタハリアーを停めて私を待っていた。乗り込んで車が発進しようとする時に弟が戻ってきて、私の嫌いな、泣いているような怒っているような寂しそうな顔をするので、車から降りて弟の傍へ行き、ごめんごめんそういうつもりはなかった。と言う。
そういうつもりはなかった。起きてから、そういうつもりはなくても、そうなっちゃったら私が悪いんだよなあと反省するなど。

馬骨さん私にもトッペ画像を下さい

今日一番言いたいことは表題の通りです。読んでないと思いますが。さて、金曜以来どういうわけか興が失せて誰かに手を出す気も放浪する気もなくなって、もともとここは放浪記であったはずなのに余計なことまで書いてしまうし、その上この先放浪なしではどうしたものか。一時的な感情のような気もするし、そうでない気もするし、予想できるのは、あまり考えたくないが偽間男が居なくなったときに元通りになるということくらい。彼もまた放浪の人なのだ。付き合いは15年になるが、そのうち半分くらいは二人のうちどちらかが放浪のために連絡を断っている期間。

31日
南方君が、自分の女性の評価は加点でなく減点であると言うのを聞いて、彼から今まで聞いた話の様々がちょっと繋がる。何かすごくしっくりきた。元々基準がある、根本で好きな人は一人だ。改めて私の評価方法は加点であるなと思い、色々のことが頭を過ぎる。私はその人をその人として好きだ。「どこか似ている」程度のことはあっても、似ているからどうこうと言うことは無いし、好きの種類が違うから複数人を同じくらい好きということが平気で起こる。しかもその好きの大小に優劣がつけられない。そういう話をしたら彼が、博愛ですね。と言う。博愛なんてよく言いすぎだし、皆を好きというのは皆のこと何とも思っていないのと一緒だ。

埋まっちゃった話等

28日
偽間男と食事。スタジオ終わりに20時前後ならどうにかなると思い、19時45分に迎えに行くと言った自分の詰めが甘かった、蟻んこたかるくらいに。終わったのが20時を15分も過ぎていて、携帯電話に着信と電子メール。何故「終わり次第連絡する」と言っておかなかったのか。
スタジオの同期・後輩と元バイト先の同僚を交えた7名でのなかなかにカオスな宴。
で、私と偽間男の下衆すぎる会話内容をここへあれしたらまじで、がちでくそ面倒臭いことになったのでその部分削除。
宴のあとは偽間男と二人の放浪が続き、ああでもないこうでもない。共通するのは、いいおもちゃが見つからないこと。人、個人に対して興味が持てないこと。それも含め、自分の理想のあれが見つからないこと。自分にとって何が、ぐにゃぐにゃの何かを埋めることが出来るのか判然としないこと、だから余計に見つからないこと。何かが必要なんだけど、探しているものが自分でもどんな物なのかわからないから見つからない。相違点は、偽間男は行動と反応に対しては非常に興味と好奇心を持って接し、それ故に、それを基本として人と付き合い相手をおもちゃにしているということ。対して私は、あそぶにしても、愛してないと無理だわ面倒臭くて。できねえ。せめて愛を持てよ下衆だなあ。って言ったら、「ああそう、そうなの、うーん」。
暗くて何も無い深夜一時の国道を延々走りながら、片思いが楽しいとか相手が振り向くと冷めるとか粉かけてる間が至福とか人として下衆すぎる吐露をお互いに続けていたら、あれ、おかしいなぐにゃぐにゃしたものがきれいに埋まっていた。意味がわからない。
 私の理想は甘えもあってハードル高すぎてとうてい出会えないわ、だからお互いのおもちゃが見つかるまでよろしくしようや、あんたは私のような女相手に、それも一度あれした女に、即答出来ないかも知れないけれど私と居ると楽しいよ。楽しくないの嫌いでしょう。私は面倒臭くないし、便利だし、迷惑はかけない、使い勝手もいい、私はあんたのつぼはおさえているしあんたは意識せず私のつぼを突けるひとだよ今も、私はあんたをずっと楽しませていてあげられるよ。どんなおもちゃが欲しくて、そのおもちゃでどんなあそびがしたいのかを試す道具にしたらいいよ私を。傷の舐め合いって言うけど、私たちに痛む傷も良心もないだろう下衆すぎて。ごみくずみたいな性格でしょうお互い。
そんな話をした。そうすると「えらい自信だね」と。まあこういう自信がないと男ひっかけられませんし。最早才能ですし。息をするようにそういうことができてしまいますし。で、どうだい。と言うとややあって、「いいよ」という返事。埋まった。その一言だけで簡単すぎるくらいに完全に埋まってしまった。