鏤められた文字の行方

十数年前には随分と沢山の知人が居た、インターネットで文を書く知人。お互いに読むだけの人たちも、インターネットを離れた場所でも付き合いが続いた人たちも、皆年を重ねるにつれて減っていった。自分にとって、文に起こすということは心情の整理、恰好良く言えば精神統一だ、私以外にとってどうなのかは知らないが、多分、似たようなものではないかなと思う。
皆、どこへ行ってしまったのだろう。他の手段を見つけたのか。或いはもう、心情の整理が不必要となったのか。不必要だと言うなら、それはどんな状態なのだろう。もし私が、「私には心情の整理など不要です」と言う時は、想像してみるとなんとなく、自分の本心と向き合うことから逃げている状態なのではないかなと思う。

メモ
回りくどい言い方をして自分を守る人に、はっきりと直球で言ってくるまで気付かないふりをし続けるのが好き、そんな甘えを許さない。でも自分は、一切隙を見せずに私何か間違ってますか間違ってませんよね路線で話す事が多いので駄目ですね私理論武装ですね。と言ったら「あなたのは理論武装よりも理論スナイパーです」と。防御ではなく攻撃であると。そうですかーうふふっオッケー♪(流行に流されてみました)

メモ
腰痛の話題で。腰痛用コルセットではなく、女性用下着としてのコルセットが好きで持っています。と言ったら「何故そのような物を持っているのか」と。ヴィジュアルと仕様以外に何があるのか自問し出した答えは、怠惰の塊のような人間なのでだらけた服を着ていると心までだらけるから。でした。なんか中二っぽい!