紙幣にて焚き火


どうしてこんなにも、ひとつところに留まっていられないのかを話し合ったことがある。職や住まいを替えるほどではないが、強迫的に放浪していたころ。結論はでなかった。いっそのことどこかとおくへ引越しをしようか、という提案のあと、ふたり声をそろえて「でもまたどこかへ行くんだよねえ」と言ったのをおぼえている。なににおびえて、放浪するのだろう。おとなになること、即ち責任からではないかとおもう。借家ではなく土地と家を買えば、そこから逃げることはできぬし、この名を捨てることも身を隠すこともできぬ。子を持てば最早そのような戯言言ってはいられまい。そういうものから逃げている気がする。
平日はあまり放浪できぬのがさみしい。なんとなく遠回りしながら行く帰路。ボンベイサファイアをのむためのソーダと、トイレットペーパーを買い忘れたりて帰宅。ガソリンという名の現金を、無駄に燃やす日々。
冷蔵庫をあけると、先日のCostcoにて集団心理で興奮状態のままなんの疑問ももたずに購入したばかみたいに大きなベイクドチーズケーキが占拠しているのをみる。忘れていた。なんとなく、ひとつしかない大きなものはふたりそろったときに食べないとあれな気がして、だけど次に夕食を共にするのは土曜日なんだよなあ、かなんかおもいながらただ眺める。これは果たして、ボンベイのつまみに成り得るのか。