無形物を売りて


夏になると母は箪笥から浴衣を出してきて、「この着物はお嫁に行くときにお母さんが買ってくれた」とか、「こっちの帯はお母さんが若いときにつかっていたのを私にくれた」とか、よく話してくれたものだ。それらをきっと、母が亡くなるときには私が譲り受けるだろう。
じぶんの家庭が「他人のそれとは違う」ことについて、これまでマイナス面での体験もたくさんあったが、母は随分とがんばっていてくれたとおもう。「普通になるためには、普通以上に気をつけなければならない」と母はいつも言っていた。
私の仕事について、連れ合いはいつも、かなしいのかむなしいのか、それとも不機嫌なのか、判然としない顔をする。大きなお腹をかかえてくる幸せそうな若い夫婦、小さな子を抱き身なりを整えてくる家族。私たちはそんなものの一部になったことがない。私は、私の父がカメラがすきだったこともあり、父が居なくなるまえまでではあるがアルバムもたくさん残っている。だが連れ合いは違う、彼が生まれたときには、そんなことをするげんきが彼の家庭には残っていなかった。おまえの仕事はブルジョアの相手だ、おれはその中には入れない、と言う。それに対して、そうだね、私もお客さんを撮っているときはなんともおもわないけれど、お客さんのアルバムをみたときはすこしだけ辛いよ。だなんて言えないほどうちにはたくさんのアルバムがあって、彼にとっては私は客とおなじブルジョアだ。なにを言っても重みがない。
かなしいし、さみしいし、つらいとおもう。私たちで私たちの子のアルバムをつくってゆくしかないのかもしれない。だけど「想像できないことは実現できない」というのろいのことばが頭をチラついて、ぐるぐる。