気がするひと

ピントを合わせるのが億劫になってしまって、一切合切がぼやける。何か大切なことを思い出すための夢を、見ていた筈なのに遠くの方へいってしまって、匂いのような色のような、イキフンのようなものしか思い出せず。そんな日が続いている。ような気がする。気がするだけかもしれぬ。
偽間男のことがなかなかにどうでもよく思えていて、それについて考えることもあまりしなくなった。彼に限らず、割と誰でもがどうでもよく、ただ何となく考えてみると、私はこんなだし、あれだし、気がついたときに文章で幾らかやりとりするくらいなら何という事はないけれど実際問題会って云々、それが例え健全なものだとしても、頭の中で両の手でもって大事に包んでいる彼との関係をぶち壊すだけのような気がして、うーんと、男関係においてはとみに、破壊王であるし、このまま進退なしに放って置きたいのではないかなと思う。何ですかこのセンチメンタルはクリスマスのせいですかそうですか。
夜道を流すと、雪を載せたトラックを目にするようになり、本当に冬なんだなあと思う、ばかみたいな感想だが。新潟や長野へは、暫く行くのを止すほかない。

寺社仏閣巡りに余り乗り気でない殿様が、成田山だけは行きたがるので、どうしてだか年に数回も足を運ぶ。いつものように稲荷の方へ回って、揚げと、白狐の小さな置物を買い、一寸目を離したらがちゃんと陶器の割れる音がして、何事かと思えば連れ合いが割れた白狐を持って呆然としていた。何やってんのばかなの。罰当たりめが。と言うと、「揚げの前に立たせてあげて遊んでた」と言う(店のおばちゃんは揚げの上に寝せて置いて寄越す)。阿呆かと思うし、超愛しい。ご免白狐。「交換するから持ってきてえ」とおばちゃんの声。おばちゃんもご免。また、一人落ち着き無くきょろきょろした後蝋燭に火を燈すと、既に揚げも白狐も連れ合いは供えてしまっていて、一番隅に並ぶそれを指差して「あんたが置いたんこれやろう?」と言うと、「なんでわかるの。ねえなんでわかるの」。八年も傍に居たらそりゃあ、わかりますわ。御籤をひくと二人とも吉であった。
外の店で買ったたこ焼きを片手にふらふらしていると、うなぎ屋で若い衆が熱心に串打ちをしていたので、心の中で「若者よがんばれよ、私はこんなだが」と迷惑な祈りを捧げながら、遠くから眺める。あとになって写真を見返したら、それは刃物を持ったおっさんと、おっさんに脅されてしゅんとする二人の写真だった。