茶・未遂


残業を終えて帰路、いつかのように自宅へ続く交差点をいくつもいくつも見送り北へ。引越しの準備は全く進んでいない、手をつけてもいない。ピアスとネックレスがみつからない。と探してもいないのに嘆く日々。一時間ほど経ったあたりでO先生が反応してくれ、貴重な時間をくれると言う、来た道をすこし戻り17号線をどこまでも南下。するも、途中連絡を取るために立ち寄ったコンビニエンスで確認すれば財布の中には千円札が三枚、目的地までは二時間。お茶をするほどの時間もなさそうで、引き返すことに。申し訳ないことをしたし、非常に残念だった。
どうかしていると思うし、だめだとも思う。運転中は要らぬことばかり思い浮かぶ。例えば今まで生きてきて、この世に「片思い」ほどたのしい遊びがみつからない。だとか。その次にたのしい遊びは「放浪」だな、だとか。この思考もだいぶどうかしている。この、私のたのしいこと(=やりたいこと)は、=自分が楽に生きられること、であって、なんとなく、楽にはなりたいけれど楽はしちゃいけないという強迫的なあれが脳内を付き纏う。その先を望むことなく片思いだけでよいなら自分に努力など要らぬし、面倒なことからは放浪すればよい。そういう思いのままもう二十九になってしまった。
また考える。そういえば、いつだったかインターネットを通じて知り合った人や長らく会っていなかった人に頻繁に会ったり会おうと試みたりした時期があって、連れ合いに「(近々)死ぬの?」と聞かれたのを思い出す。それ程ふらふらしていて消えて居なくなくなりそうで死にそうで、それ程普段人と会うということをしていなかった時期。今も然程かわらないが。すこし考えて、またどうでもよくなって、それとやはり残念だなあ、と思いながら、見慣れた道を流す。
帰ったら磯●氏が「なんか今日みんな病んでる」と呟いていて、それにO先生も賛同していて、苦笑いしてしまった。