懐剣を求む/人の記憶、福島


店の中はさまざまの刀でいっぱいで、綺麗にディスプレイされている。極彩色のオウムを象った色鮮やかな短刀、小洒落た脇差、クロムの細い洋刀。どれも美しい。守り刀にどれか買おうと真剣に眺める、そんな夢を見た。中にはブシドーブレード侍道の刀もあって(←斬りゲー好き)ずいぶん面白い店だった、また行きたいなあ。
懐剣。女がいざというとき、戦闘ではなく自害の為に懐に忍ばせる守り刀。どうしてそんなものを買おうとしていたのだろう。私はいまそんなものが必要な状態なのか。
目が覚めてすぐ、どうしてか、突然福島時代のことを思い出す。十年も前か、男が福島へ越したので電車に揺られ郡山。私は初めての福島だった。駅からは男が車を出し、田畑の続く道を何時間も走った。道中、なあんにもない道の脇に「売物件」と書かれた二階建ての建物を見る。一階部分は駐車場になっていて外階段から二階へ上がる、ぐるりとガラスが張られ周囲がぐるり展望できる三角屋根の店舗物件。私はあれに行ったことがある、と言った。いつかはわからない。だが絶対に行ったことがある、似ているどこかではなくここに、だ。あれは飲食店だった。と言うと、男は「でも福島は初めてなんでしょう」とか「確かに飲食店だったけどあの店はもう十年くらい何も入っていない気がする」とか言う。ふうん。そうなのか。
帰宅してから母に尋ねると、あそこへ行ったのはお前が生まれる前のような気がする。などと吐かす。まあそんなはずはなくて、母の頭の中のシナプスを無理矢理に繋げてもらった末に「お前か弟が赤ちゃんだった頃にも行った」という結論が出たのだけれど、弟が赤ちゃんだったとしても私は二歳。記憶というのは、一体全体どうなっているのだろう。何でもかんでも覚えている人があるが、すごいと思うよ、私はね。幼い頃の記憶があまりないから。あれが多分、私の一番古い記憶だ。その次の記憶は五歳あたりで父親に誘拐(笑)された記憶しかない。あはは、暗いな。
何しろそれを突然、思い出した。何か夢でも見たのだろうか。昨晩、東北への支援が本当の支援になっているとかいないとかのテレビ番組を見た為かも知れぬ。がんばれとか応援しているとかの手紙を貰ったり、学生の作った立派な表札を貰ったりして、中には「お前たちに言われたくない」とか「家が流されてローンも残っているのに表札なんて当てつけか」と思うひとだっているんじゃないか、なんて殿様と話していた。ツイッターで見た、「東北で家を流された兄に、何か出来ることはないかと尋ねた所、頼むから俺よりずっとずっと不幸になってくれ、お前たちがちょっと辛いくらいで帰りたいだの言うその家がおれには無い、と言われた」という話。そんなのを話し合っていて、だけどそれって、根っからの性格だよなあ。あんたのお兄ちゃんなら、家が流されたってあんたにそんな事絶対に言わないでしょう。そう言ったら、うちの殿様はそうだねと言って笑っていた。