日常のペニスパニック

放浪しているなりに、あれは何々市、だとか、あれは何処方面へ行く間に迷い込んだ、とか、位置関係は全くと言っていいほどに理解していないがそこら辺は朧気に、覚えては、いる。本当に朧気。埼玉方面の右手に道の駅がある通りで左手にある回転寿司屋に入った、とかそんなの。この文字列だけでぼやあーんと風景が浮かぶのだ。最低でも「そこが何県なのか(何県と何県の境に居るのか)」は理解している。ところがどうやっても思い出せない場所がひとつだけあって、おかしなことに連れ合いに聞いてみても駄目だった。二人とも、同じ記憶だけ残っている、同じ記憶だけ抜け落ちている。こういう時は大抵私よりも連れ合いの方が覚えているのだが全く思い出せないと言う。あれが気になってどうにもならぬ。知恵袋で質問したいくらいだ。
夜、ファッションホテルへ泊まることになり小さなホテル群へ入る。まず、ホテルで眠るということを普段しない。夜通し車を流して早朝に帰り着くか、コンビニエンスへ車を停めて車内で眠るのだ。だというのに覚えていないというのが私たちにとっては不思議なのだ。空室の有無と料金の確認をするのに安っぽい電飾のあるホテルを通過し、なんじゃこのホテルは、駄目だ、次、と言って二軒目へ。用水路か、小さな川のようなのを跨ぐコンクリートで出来た車両一台分の橋を渡って敷地内へ入ってぐるり。敷地を出る際、件の橋を下ろうというときに、がががっ、と金属の擦れる音があって、まずいこれはバンパーではなくてマフラーだ、ってすぐに隣の三軒目。一階部分が駐車場になっていて、端へ停めてLEDライトを取り出し跪いて下回りを確認するが何も漏れていない、どうにもなっていない。拍子抜けしながらロビーへ入って空室状況を確認すると、きれいで、空いていて、安い。車へ荷物を取りに戻ろうとする時に廊下で次に入ってきたカップルと擦れ違う。荷物は少ない、つまり元々どこかへ泊まるつもりで出てきたわけではない。ロビーは緩い弧のような形状で両側に入り口があり中心にモニターとエレベーターがある。だが部屋の様子や特徴は全く覚えていない。セックスはしたのか。風呂へ入ったのか。食事はどうしたのか。翌日チェックアウトの際、平日朝の渋滞を見たので泊まった日は日曜から木曜のどれかである。連れ合いが平日休みなのは有給休暇以外にない。月曜に有給は滅多にとれぬから日曜ではない。また夜勤の週は帰宅が深夜二時を過ぎるので恐らく日勤の週である。有給休暇は月に一度。そんなに多くはない。だが私も連れ合いもこれ以外の記憶がない。あれはどこなのか。二人の共通の夢なのか。仕事へ行く人々を見ながら左折合流待ちの助手席で髪を結ったあの記憶が夢だというのか。出発前に車の下回りをもう一度跪いて確認して何ともなってねえじゃんと笑ったあの記憶が。何とも気持ちが悪い。なんとなく、時間や距離を推測すると茨城のような気がするが探してみてもそんなホテルはなし、第一そんな近場で宿泊などしない。或いは千葉か。ふらりと寄る距離ではないが。
放浪中に小さなホテル群を目にする度に、あれだろうか否違うという会話になる。本当に現実なのかもあやしい。だって、大体、急激に、突然、この記憶ってやつは出てきたんだ。本当に急に。「あれ?こんなことがあったよねあのホテルはどこだった」と最初に言ってからもう半年以上が過ぎた。どこだった、どころではない、最初から、いつだったかも覚えていなかったのだ。まさか二人で同じ夢ということはないから、ペニスパニックのようなあれなのだろうか。だとしたら何パニックというのだろうか。