朧に生きて浮く輪郭


寺社仏閣を巡る、ということにさめてしまったのはいつだったか。みうらじゅん氏が「サイン帖」と呼ぶ、自前の御朱印帖を手に、あんなにたのしかったのはなんだったのだろう。たぶん、数年前にある寺社で、そこに務める方にじぶんの屑みたいな自尊心をぐちゃぐちゃにされ(たように感じた)、あのときからではないかとおもう、突然に、急速にさめてしまい御朱印帖はそれ以来チェストの奥でぺたんこになっている(いま思い返してみても、大したことではないことなのだけれど、どうしてかあれ以来ぱったりやめてしまった。あの尼さんから私へ発せられたことばは、なにかの呪詛だったのかというくらいに)。
それから、怠惰をさらに極めてから、というか、己の怠惰を意識しながらもやめない生活になってから、なんとなく憚られているというのもあるとおもう。「なにをしにきたの?」という、みえない存在=良心の、声。あれが窮屈なのだ。なにをしにきたの?そんなからだで。そんなせいしんで。寺社仏閣は、そういう声に満ちている。とおもう。
通っていた保育園は仏教系であった。はっきりとはおぼえていないが、お花祭りのかすかな記憶もあるので、わるいことをしたらかみさまがみています。というようなこともきっと言われていたとおもう。三十歳に手が届きそうないまでも、良心の呵責をかんじている夜は夢に仏様がやってきて、説明のできない恐怖にふるえる、そういう夢をみる。理屈ではなく、かみさまはみんなのこころのなかにいます。という概念が幼いころからあったようにおもうし、いまでも、ある。
すこしだけ考える。最近そういう声に耳が痛くなることが、なかった、怠惰を益々極めていたし、挙句それについてなんともおもっていない日々。或いはおもっている、ふり。かみさまは、どこへ行ってしまったのだろう。


また、なんとなく茨城。雀神社と、長谷寺へ寄りこむ。おじゃまします、と小さく言いながら階段を上がり、賽銭も放らず、両の手も合わさずに、それから、下へ降り、しつれいします、とまた小さく言ってから、カメラを構える。かみさまでなくとも、「なにをしにきたの?」って、言うか。言うよなあ。
その後は茨城と埼玉を行ったり来たり。「次の大きな交差点:境→」という青看板に、「その手前の交差点:逆井→」というのをみつけて、おもわずUターンしてしまう。なんて読むのだろう、とおもっていたら、「さかさい」だって。変換もできた。あまりよくないなまえだよねえ、とか言いながら、でもよすぎるなまえの場所は逆に、とか、地名の話で盛り上がるなど。
夕刻。橙色の町を縫いながら、アパートへ続く側道を何本も何本も見送り、いつまでも彷徨う。一日の四分の一を放浪に費やし、また暮れる。
地に、足がついていないのを明確にしてしまう気がして、車から降りずにずっとただひたすらに車を走らせているような、そんな気がする。どこへ行っても、ほんのりと、場違い感。それによる、強烈な疎外感。
日ものびて、窓を開けてみても風は冷たくない。放浪にはあまり適さぬ季節に、世界はどんどん移っていく。